釧路市の自立支援プログラムがおもしろい ―『ルポ 生活保護』


命の格差

衝撃的なデータがある。*1
生活保護受給者の平均死亡年齢は、女性71.6歳、男性63.8歳。
全国で死亡した人の平均年齢(女性80.1歳、男性73.3歳)に比べて10歳程度も若い。
貧困は命の格差をももたらす。
その原因は判然としないが、死の問題は生の問題の裏返しである。
長生きできない生を営んでいるということか。
 
******


先日、僕は仲間と「生活保護受給者の街」横浜市寿町を視察した
住民のほとんどが単身高齢者だが、彼らはとにかく暇を持て余していた。
部屋にひとりでいるよりはマシなのだろう、路上に出て昼間から酒を煽ったり、タバコをふかしながら仲間とたむろしたり。
保護受給によって晴れて住居と生活費を手に入れたわけだが、彼らの目はどこかうつろで力がなく、とても幸せそうには見えなかった。
実際この街では孤独死や自殺が後を絶たない。


あれが生活保護が保障する「最低限度の生活」なのか?
寿の街には本来暮らすべき社会として何かが欠如してはいないか?
そしてその欠如こそがまさしく「長生きできない生」の根源なのではないか?


本書に紹介された釧路市の自立支援プログラムは、そんな僕の疑問に答えを与える、非常に興味深いものであった。

ルポ 生活保護―貧困をなくす新たな取り組み (中公新書)

ルポ 生活保護―貧困をなくす新たな取り組み (中公新書)

自立支援プログラムとは何か

2004年12月、厚生労働省に設置された「生活保護制度の在り方に関する専門委員会」は、
“利用しやすく自立しやすい制度へ”というスローガンを掲げた。
「利用しやすく」というのは悪名高き水際作戦の撤廃などであり、「自立しやすい」というのは、最低生活保障を行うだけではなく受給者の自立を支援する観点から制度を見直すということである。

画期的であったのは、ここでいう自立とは「経済的自立」に限らないと明記した点。
もともと生活保護は経済的に困窮する国民を対象にした制度であるため、困窮者の自立とはもっぱら経済的な自立と受け止められがちである。

しかし生活保護法制定当時に、厚生社会・援護局保護課長であった小山進次郎氏は、『生活保護法の解釈と運用』のなかでこう述べる。
すこし固いが、非常に含蓄のある文章なので引用する。

最低生活の保障と共に、自立の助長ということを目的の中に含めたのは、「人をして人たるに値する存在」たらしめるには単にその最低生活を維持させるというだけでは十分でない。
凡そ人はすべてその中に何等かの自主独立の意味において可能性を包蔵している。
この内容的可能性を発見し、これを助長育成し、而して、その人をしてその能力に相応しい状態において社会生活に適応させることこそ、真実の意味において生存権を保障する所以である。
社会保障の制度であると共に、社会福祉の制度である生活保護制度としては、当然此処迄を目的とすべきであるとする考えに出でるものである。
従って、兎角誤解され易いように惰眠防止ということは、この制度が目的に従って最も効果的に運用された結果として起こることではあらうが、少なくとも「自立の助長」という表現で第一義的に意図されている所ではない。
自立の助長を目的に謳った趣旨は、そのような調子の低いものではないのである。

憲法25条に掲げられた「生存権」とは、「単にその最低生活を維持させる」だけではなく、「その人をしてその能力に相応しい状態において社会生活に適応させ」て初めて保障される。

前記の「生活保護制度の在り方に関する専門委員会」はこの生活保護法制定当時の理念に原点回帰し、

  1. 自分で自分の健康や生活を管理できるようになるための「日常生活自立支援」
  2. 社会的なつながりを回復するための「社会生活自立支援」
  3. 就労による「経済的自立支援」

という3段階の「自立」概念を打ち出した。
 
そして幅広い意味での「自立」を目標に取り入れられたのが自立支援プログラムだ。
厚生労働省は各自治体にそれぞれの実情に合わせた独自のプログラムの策定を求めた。

釧路市の自立支援プログラム

釧路市の自立支援プログラムは先進的な取り組みとして全国的に注目され、数多くの研究者やNPO、政治家などが視察訪問している。

釧路市では生活保護受給者が抱える状況に応じて、四段階のステップを用意している。

  1. [日常生活意欲向上プログラム]規則正しい日常生活がきちんと送れるようにする
  2. [就業体験的ボランティア事業プログラム]家の外へ出て、社会とのつながりを回復する
  3. [就業体験的プログラム]もう一歩踏み出し、就労へ向けた準備をする
  4. [就労支援プログラム]資格取得講座の受講やハローワークをなどを通して、就労を目指す

ボランティアから就労へ、と階段を登るように自立を目指すことに大きな特徴がある。
各プログラムごとにNPOや民間企業の協力を得ていくつかのメニューが用意され、
保護受給者は任意で作業を選ぶことができる。
ボランティアに携わる中で、日常生活のリズムや社会生活を取り戻し、同時に元気も回復していく。
もちろん、様々な事情で経済的な自立が困難な人には、日常生活・社会生活自立を回復したらそれを維持するという道も用意されている。

2006年度から2009年度までの4年間で、2455人が参加し、448人が仕事に就き、121人が保護廃止にこぎつけた。
経済的自立に至らずとも、ボランティアに携わって人から必要とされることで保護受給者が生きがいを見つけたり、受け皿としてのNPOや民間企業の職員、仕事仲間などと友達になって社会とのつながりを回復したりする意義は大きい。
本書では以下のように評価する。

 多くの生活保護受給者は、保護を受けていること自体に負い目を感じ、とりわけ働ける能力があるのに仕事がなく、生活保護を受けざるを得ない人々は、もやもやとした気持ちを募らせる。何度も就職面接で断られると、これまでの生き方や人格まで否定されたような気分になり、奈落の底に落ち込んでしまう。
 でもボランティアを通して社会との接点を持ち、社会に貢献する中で、自分の存在を肯定的に捉えられるようになり、元気を回復していく。
貧困はただ、保護費を支給するだけでは解消されない。人は社会とのつながり、「社会の役に立っている」という手応えを実感できないと、生きる気力がわかない。
釧路市の自立支援プログラムはボランティアを通して、その実感と、社会のなかの自分の居場所を提供している。しかも、受給者が一方的な福祉の受け手になるのではなく、福祉の担い手にもなる。地域に受け入れられた人が、今度は自分の力を地域に還元するという好循環が出来上がっているのだ。

僕が寿の街に感じたものは結局、保護受給者たちの「生き方の貧困」、「死に方の貧困」であった。
こうした問題を解決するためには、地域社会とのつながりを回復し、自己肯定感を生み出す仕組みづくりが欠かせない。
釧路市の取り組みは、袋小路に陥った生活保護行政に差すひとすじの希望と言えるかもしれない。

[twitter:@cosavich]

*1:藤原千沙・湯澤直美・石田浩「生活保護の受給期間―廃止世帯から見た考察」社会政策学会誌『社会政策』2010年2月、第一巻第四号