貧困ビジネスが路上に生む3つの壁

Kさんはこぎれいな格好をしていた。
黒い肌、白髪交じりの髪はオールバックにして整え、髭もしっかり剃っている。
こんなところで料理をしていなければホームレスとはわからない。
今夜はすき焼きのようだ。甘い匂いが夕暮れの公園に漂う。
話しかけると最初は訝しげであったが、僕の足元に新聞を広げて座れといった。
そして徐ろに自身の話を聞かせてくれた。


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Kさんは一度、自立に成功している。

東京都が実施した地域生活移行支援事業を利用し、生活保護を受給した。この事業は「3000円アパート事業」とも呼ばれ、家賃の実費負担は3000円で済む。

入居した所は、なんでも一年前に自殺者が出て心霊現象が起きるいわくつきの物件だったらしいが、Kさんはそこで就職活動をし、晴れてとある企業の契約社員になることができた。贅沢は出来なくとも日々の暮らしには困らないほどの収入を得た。そして保護はぬけ、家も引っ越した。

しかしそんな生活もそう長くは続かなかった。

2009年、突然の解雇。
「国からの通達を受けて障害者を優先的に雇用するため、契約社員に辞めてもらう」と会社は説明したが、眉唾ものだ。不景気のなか、雇用の調整弁として契約社員のクビを切るために、障害者雇用という外聞のいい理由を持ち出したように思える。
もし仮にその後本当に障害者を雇用していたとしても、弱者を優遇するしわ寄せがまた別の弱者にいくという構図は、なんとも空しい。

Kさんは職を失い、収入を失い、そして住居を失って、新宿の路上へ舞い戻ることになった。

現在はビッグイシューの販売によって生計を立てている。


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僕はホームレスの方のお話を聞きながら、自立に向けたお手伝いをさせていただくことがある。

Kさんに脱路上への再挑戦について聞くと、この生活を長く続けるつもりはないと言いつつ「いつごろ?」という問いには、お茶を濁されてしまった。

しかし僕が、サポートの具体的な手順や僕自身の意志をゆっくり説明すると、かなり前向きになってくれた上、本音を聞かせてくれた。


「うまい話にホイホイついていくことは出来ないよ」


それが全てだったと思う。

狭い部屋に何人も押しこみ、不釣合な家賃を得る「囲い屋」と呼ばれる貧困ビジネス。ホームレスに仕事を持ちかけ、不釣合な労働を強いる貧困ビジネス。彼らが自力では脱路上を果たすことが難しいという構造をついた、「手を差し伸べる」体の利益追求ビジネスが蔓延っている。

そうした中うまい話に簡単に乗ることは食われることだと、当事者たちは経験的に、あるいは人づてに聞いて知っている。

信頼関係を作れるまでじっくり待つしかない。僕は連絡先の記された名刺を手渡して今回はお暇した。


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結局、貧困ビジネスに関連して、自立サポートには3つの壁が生まれてしまっているのではないかと思う。

  1. 強い警戒心が存在するため、信用の形成が難しい。結果、腹を割った話がなかなか来ない。
  2. 信頼関係が出来たとしても、一度貧困ビジネスに絡めとられた経験がある人は、自立への努力は報われなかったと感じて、再挑戦への腰が重くなっている。
  3. 生活保護までたどり着いても、福祉事務所が貧困ビジネスと結びついていることもある。「藁をもつかむ思い」でつかんだその藁が、路上生活者の傷んだ心身をさらに傷つけるガラス片になっている。

壁1は必ずしも貧困ビジネスから派生するものではない。初対面やそれに近い人間への警戒心はどんな人にもデフォルトで存在する。しかし貧困ビジネスによってこの警戒心が強化されることは十分ありうるだろう。
いずれにせよ、このように路上生活者の脱路上への取り組みには多重な壁が存在している。

しかしそれでもひとつ手応えを感じるのは、
少しずつだけど人としての距離は必ず近くしてゆけるということ。
最初は信用せず目も合わせなくても、こちらの思いをぶつければ手を振ってくれるようになる。「久々に話せて嬉しかったよ」と言ってくれるようになる。「また来いよ」と言って、次会ったときには名前で呼んでくれるようになる。

Kさんはお別れするときに「ありがとう」と力強く僕の手を握ってくれた。


一度直接関わったら、彼らはただのおっちゃんになる。そこに「ホームレス」だなんて言葉はいらない。
そして何度も直接関わったら、僕らはただの友達になる。そこに「支援」だなんて言葉はいらない。

どんなに高い壁があろうと僕は諦めない。
僕にとって活動を諦めるのは、友達を見捨てるのと一緒だから。
クサイと思われるかもしれないけど、それが現場で動く僕の本音だ。

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