凡人たちが社会的責任を果たす時代へ 〜『キック・アス』

スーパーヒーローものアクションコメディ。15禁。
スパイダーマンのような従来のスーパーヒーローものよろしく、主人公はどこにでもいる平凡な青年。しかしこの作品が特徴的なのは、彼がヒーローコスチュームを身に纏ってキック・アスに変身してもなお平凡だということ。殴る蹴るの暴行を加えられ、ナイフで刺され、あげくの果てには車に轢かれてもう散々。主人公はあくまでヒーローに憧れる一個の青年でしかなく、ヒーローには決してなりきれない。その点はどこまでも現実的な映画だ。また、馴染み深いYouTubeMySpaceのシークエンスがリアリティを強化する。


物語はここから、残虐な殺戮マシーンに育てられたヒット・ガールとその父ビッグ・ダディの登場によって一気に非日常・非現実へとドライブしていく。その過程で、本来なら引いてしまうほどのバイオレンスが笑いや可愛らしさへと転化させられていく。すごくうまく作られているのだが、これ以上僕がエセ映画論を語っても仕方ないのでここら辺で本題に入る。

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この映画のメッセージは劇中にもセリフとして言及される、
「力のない者は責任を負わなくてもいいのか?」
ということである。


スパイダーマンやスーパーマンのような従来的なスーパーヒーローには特殊能力があり、その常人持たざる力のもとに「悪を倒し弱者を救う」というような責任感が発生している。言ってみればノブレス・オブリージュだ。

ノブレス・オブリージュまたはノーブレス・オブリージュ(フランス語:noblesse oblige)は、直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」の意味。oblige は、動詞 obliger の三人称単数現在形で、目的語を伴わない絶対用法である。名詞ではない。英語としてもこのまま通用するが、「ノーブル・オブリゲーション」(noble obligation)とも言う。一般的に財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことを指す。

wikipedia

ノブレス・オブリージュの発想は自己犠牲的であり、また社会の平等を担保するという観点から広く支持されるものだ。だから莫大な寄付活動を行うビル・ゲイツウォーレン・バフェットのような資産家はカッコイイと評価されるし、一方でそうした社会的責任に無関心な日本の資産家などは揶揄されることになる。


しかしよくよく考えてみると、こうした特別な地位や財産、能力を持たない一般人の態度の背景にあるのは、ノブレス・オブリージュの裏返し、つまり「力がない者には積極的な社会的責任は発生しない、あるいは軽減される」という発想だ。もし社会的責任が我々一般人もひとしく担うべきものだと認知されているのなら、とりわけ資産家・企業家のみが槍玉に上がったりはしない。


ヒーローに憧れて、挫折して、無力感に打ちひしがれて、しかしまた奮い立つ。
そんな凡人キック・アスの姿が思い出させてくれるのは、力から責任が発生するのは確かだが責任は力のみから発生するのではないこと、凡人や弱者にも社会的責任はあるのだということだ。


少し話が変わるようだが、「お客さまは神様です」という言葉がある。これは本来はサービス提供者の人間が胸に留める言葉であるはずなのだが、消費者側が口にすることがある。耳障りのいい言葉が一人歩きしてしまったときに生まれるのは、高慢な消費者とギスギスした社会だ。
同様にノブレス・オブリージュだって、貴族が胸に留める自負の言葉であって、平民が貴族を評価するために口にする言葉ではないと考えるべきだろう。

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このように考えると、『キック・アス』は時流をよく抑えた映画なのかもしれない。

以下は2010年度版アメリカの文系大学生就職先人気ランキングだ(Universum)。

  1. Teach for America
  2. U.S. Department of State
  3. Walt Disney Company
  4. Google
  5. Peace Corps

1位のTeach for America とは貧困地区の教育改善を使命とするNPO、5位のPeace Corps とは日本でいうところの青年海外協力隊に当たる。TFAが国務省やディズニー、グーグルなど超一流機関・企業を抑えて一位になったは驚くべきことであり、アメリカの若者のあいだで社会貢献の機運が非常に高まっていることがわかる。


日本の就職先人気ランキングではこうはいかないが、しかし似たような傾向はある。
統計数理研究所の調査では、2008年までの10年間に「人のためになることをしたい」と答える割合が20代30代で大幅に増えている。現に1998年にNPO法が成立して以来、地域の問題解決に取り組むコミュニティビジネスは続々と立ち上がっている。また、最近では学生団体GRAPHISの活動が映画化されたことも記憶に新しい。


僕は「凡人たちが積極的に社会的責任を背負っていく時代」が来ているのだと思う。
キック・アス』はこの時代の象徴的な映画だ。

[twitter:@cosavich]