寿町で感じた、支援の難しさ

横浜、寿町。日本三大ドヤ街の一つと称される場所である。先日、私は親友と共に寿青年ゼミというものに参加するため、寿町を訪れた。寿青年ゼミとは、一泊二日で寿町に滞在し、炊き出しなどのボランティアを通して、自分たちにできることを考えようという趣旨の勉強会である。寿町へ行くのは夏以来であったので、少しの緊張と不安を抱いてはいた。



町内を歩いていると、ぶつぶつと何かをつぶやいている人、ふらふらとして足取りがおぼつかない人をよく見かける。今まで会ってきた路上生活者のおじさんたちが、お酒を飲むことが多いのを思い出し、このおじいさんたちも、きっと同じようにお酒を飲んでいるのだろうと思った。



だからこの日、朝から日本酒を水のように飲むおじいさんを見ても、たいして驚きはしなかった。ただ、そんなに飲んで体を壊すことがないのだろうかと、それだけを危惧していた。



そんなおじいさんの姿を目にした後、プログラムの一つであるバザーのお手伝いが始まった。バザーに出す品は、男性・女性用中古衣類、雑貨、食器など。これらの入った、数え切れないほどのダンボールを寿児童公園に運び出し、公園いっぱいに広がるブルーシートに置いていく。一つ一つ取り出していくと、たちまち、ブルーシートが品物で覆われた。バザーがあると事前に聞いていたのだろう、開始時刻が近づくにつれ、にわかに人も増えてくる。集まったバザー参加者の数は、私の想像をはるかに超えるものであった。ボランティアスタッフの開始の合図とともに、人の波が押し寄せる。私は、彼ら彼女らの応対に追われていった。



開始から一時間程経った頃であったろうか。ふと後ろを振り返ると、人だかりができていた。何事だと思って目を凝らす。すると、見えてきたのは、人の倒れている姿であった。仰向けに倒れ、ぴくりともしないおじいさんの姿。状況を見ていた人に何があったのか尋ねると、お酒を飲んでいる最中に倒れたとのこと。ふいに、朝見かけたおじいさんのことを思い出す。思わず「あの人だったらどうしよう。」と考えた。茫然としている間に、おじいさんはサイレンの鳴らない救急車に運び込まれていった。その間も、何事もなかったかのように、バザーの喧騒は続く。怖い、そう思った。



衝撃を受けつつも、再び持ち場へ戻る。しばらくすると今度は、怒声が聞こえてきた。その声があまりにも大きかったため、反射的に振り返る。そして、愕然とした。親友がおじさんに怒鳴られている。慌てて、親友のもとに駆けつけ、おじさんから理由を付けて引き離した。聞けば、始めは普通に話をしていたのだが、だんだんとおじいさんが親友にちょっかいを出すようになったらしい。それを避けるために話をするのを止めたら、おじさんが怒鳴り始めたのだそうだ。おじさんの怒声はなおも続く。親友が自分の態度のせいでこうなってしまったのだと捉え、塞ぎ込んでしまったのを見て、わたしもまたどうすれば良いのか、分からなくなってしまった。お酒を飲めば態度が大きくなることがあるということを、私は知っている。しかし、自分にとって大切な親友が傷ついているという事実を無視することは、どうしてもできなかった。止めてくれ、そう思っておじさんに憤った。



バザーもその日のプログラムも終了し、寿町を出るときに、私もまた同じような状況に直面する。歩いていると、明らかに酔ったおじいさんに怒鳴りつけられた。思わず、全速力で走り出す。怖い。ただ、それだけだった。



次の日。私は、徳恩寺というお寺に向かった。寿町の町内周りをしている時、ある一角に地蔵があり、徳恩寺の和尚さんに追善供養されているのだという話を聞いて興味を持ったからだった。突然の来訪にも関わらず、和尚さんは徳恩寺と寿町との関係について、快く話をしてくださった。炊き出しと供養を始めた理由、先代住職の思い、和尚さんが子どもの頃の話。中でも、和尚さんに対する寿町のおじいさんたちの反応の話が、心に残っている。徳恩寺のお坊さんたちが寿町に来ると、決まって誰かがついて来て、強い口調で、しかし笑って、「何しに来たんだ!?」と言うそうだ。炊き出しを終え、お坊さんたちが地蔵に向き合い念仏を唱えれば、おじいさんたちも一緒になって手を合わせ、寿町で死んでいった仲間たちの冥福を祈る。「寿町の人たちは、寂しいだけなんだよ。ぶっきらぼうなのは、その裏返し。」そう言う和尚さんの顔は、優しかった。



帰路、寿町での二日間と和尚さんの言葉を考え合わせてみる。ひょっとしたら、寿町の路上生活者は寂しさから酒を飲んでいるのかもしれない。そうだとすれば、寿町にアルコール依存症の人が多いのも、親友を怒鳴りつけたおじさんの真意も、分かる気がした。



しかし、それは私の本心ではないということも、一方で感じている。少し、考えてみてほしい。いざ自分が相手に危害を加えられるような立場に置かれた時、相手がなぜその行為に至ったのかという背景や相手の心情を考える余裕は、果たしてあるのだろうか?



寿町での一連の出来事を通して、私はそんな余裕がないのが現実だと考えた。ホームレスのおじさんの気持ちを汲み取りたいという感情と、実際に傷つけられたら怖いという感情とが、私の中でせめぎあう。私は、どうすればよいのだろう。


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